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アスリートからの伝言

壁は自分の心の中にある

ハワイのブリンガムヤング大学での最初の壁は「英語ですね。まったくのゼロというかマイナススタートだったので。学校の授業もそうですが、外国で生活すること自体初めてなので、銀行口座ひとつ開くにも分からないことだらけでした。まずは行ってみなくちゃ分からないという気持ちで飛び込んだのですが、行ってみたらこんなに大変なのかと強烈な先制パンチを喰らいましたね」

NBA入りを目指すには英語は必須。そう考えて英語のプログラムが充実しているこの大学を選んだが、単位を取得しないとバスケットの練習に参加することができなかった。「バスケットに集中できないジレンマは大きかったのですが、自分で決めたのだからやれるところまでは自分でやろうと、練習ができない時はジムでウエイトトレーニングをしたりしていました。

それに友達やチームメイトたち、日本で応援してくれている両親の存在も大きかったですね。まわりの人たちに助けてもらいながらなんとかやっていました」2年生になって怪我に悩み、3年生でようやくレギュラーとなったが、チームのレベルもコーチの方針も自分の納得のいくものではなかった。もっとバスケットに打ち込みたい、その一心で帰国を決めた。

帰国後、スーパーリーグのトヨタ自動車に入団しプロ選手としての活動を開始、その年の新人賞獲得やオールスターにファン投票1位で選出されるなど華々しい活躍を見せたが「あのときは自分の中で何もできていなかったんです。新人賞といっても他に新人がいなかっただけで」と本人はいたって冷静に当時を振り返る。

「2年目からはもっとがんばらないといけないな、今アメリカに行ったらどうなるのかなと思って、シーズンオフにアメリカへ一人旅に出かけました。知り合いを辿ってNBAの試合を何試合か見に行ってみると、その中に以前試合したことのある選手がいて、彼らの活躍する姿に刺激を受けました。そうしたら、自分もまた彼らとプレイしたいという気持ちが強く湧き上がってきて、それがNBA入りを目指す決め手となりました」

トヨタを退団し、ゼロからのスタートとなるアメリカへ渡ったときも大きな不安はなかったという。「ただやりたい、という気持ちだけで、後のことはあまり深く考えずに行きました。失敗を恐れていても何も始まりませんから」こうして始まった挑戦の日々の中で、もっとも苦労したことは自分を表現すること。

「チームワークを大切にする日本では周りとの協調が求められますが、アメリカでは自分がどれだけできるかということを見せないと、まったく相手にされません。僕は小さいし、いったい何者だ?という目で見られるのは当たり前。コーチからも日本に帰った方がいいよと何度言われたか分かりません。だからこそ、自分の強みは何なのか、不利な条件をプラスに変えて、他の選手と違うことをやらないといけない、ということを常に意識していました。」

小柄であることの壁をどう乗り越えてきたのか?という問いに「人はそう思うかもしれないけど、そうかと思ったらやっていけないし、自分はどこまでできるか挑戦したいんだということを、言葉ではなくバスケットを通じて表現していくしかありません」ときっぱり。チームに必要とされるために何をすべきなのかを考えることで精一杯で、落ち込む暇などなかったという。

「NBAの練習に初めて参加したチームのあるコーチが、バスケットは体のサイズじゃなくて、技術じゃなくて、一番大事なのはハート。必ずチャンスは訪れるから諦めずに自信をもってやりなさい。と言ってくれたことがすごく励みになりました。壁って、結局は自分の気持ちの問題なんじゃないかと思っています」

自分を信じてひたむきに練習に打ち込む日々が過ぎ、単身渡米して2シーズン目の2004年11月、ついに日本人初のNBAプレイヤーとして夢の舞台にデビューを果たす。「小さい頃からずっと憧れてきて、ずっとかっこいいなと思ってきた世界でしたが、いざそこに立ってみたら、さらにかっこよく感じました。

本当に嬉しかったんですが、正直こみ上げてくるものを嚙みしめるとか、緊張するとかという感じではなくて、試合で結果を残さなければ次の日いらないよといわれる世界ですから、とにかくそこで最高のパフォーマンスを発揮しなければということだけを考えていました。ここまでの過程が大変でしたから、今度はこの夢の舞台に立ち続ける大変さを改めて強く感じました」子どもの時からの夢が叶った瞬間、それは終わりではなく、次なるステージへの始まりとなった。