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インタビュー

アスリートからの伝言vol.1 フィギュアスケート 髙橋大輔さん

スケートが僕にくれたもの

さらなる進化を目指して3度目のオリンピックに挑む髙橋選手から 今、次世代の子どもたちに伝えたいこと

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フィギュアスケーター
髙橋 大輔 選手


インタビューが行われたのは北海道での強化合宿を終えたばかりの8月中旬。メディアで報じられている順調な調整についてたずねると「取材のときに、たまたま調子が良かっただけです。あとはいつも通りでした」と屈託なく笑う。常に日本中の期待を背負っているプレッシャーを微塵も感じさせないその笑顔は、リンクの上で見せる神々しいまでの印象と異なり、まったくの自然体だ。

「毎年夏に行う合宿では徹底的に基礎体力を上げていきます。体力的に自分を追い込むことでメンタルもちょっと鍛えられる感じがするので。でも、メンタルの追い込みは試合前のぎりぎりまでしないタイプですね。まさに今日から学校なんだけど、まだ夏休みの宿題ができてないみたいな感じです(笑)」

そう言ってまた周囲を和ませる。

子どものときに楽しいと感じたことは、大人になっても忘れない

男ばかり4人兄弟の末っ子、甘えん坊で引っ込み思案だった少年時代は両親の勧めで少林寺拳法やアイスホッケーなどいろいろなスポーツに挑戦してきた。

「何をするにも最初はヤダヤダって言っていました。球技は得意じゃなかったのに野球もやりましたよ。小学生なりの付き合いとかあるじゃないですか(笑)。みんなとワイワイやるのは好きだけど、球技って他にうまい人がいっぱいいるでしょ。見栄っ張りなので、できない自分が嫌で本当はあまりやりたくなかった」

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人にかっこ悪いところを見せたくなかったという記憶は、今もはっきりと残っている。もともと個人競技が好きで体操がやりたかったが、遠くまで通わなければならずに断念した。

「今思えば体操教室が近くなくて良かった。もし体操を選んでいたら、同年代には内村くん(内村航平選手)がいますもん、絶対敵わないですよ(笑)」

8歳のとき、たまたま家の近くにできたリンクでフィギュアスケートと運命の出会いを果たす。

「これだな、と思ったんです。これがやりたいと直感的に。ほかのことはやりたいと思わなかった」

初めて自らやりたいことを見つけた喜びに加え、地元のみんなとスケート場に遊びに行く感覚で通った練習も楽しかった。

「今はもうスケートが僕の一部みたいになっているので、楽しいというよりしんどいと感じることも多くなりましたが、でもやっぱり根本的に好きなんだと思えるのは、あのころに感じた楽しさが今も心に残っているから」だと当時を振り返る。
髙橋選手が始めたころのフィギュアスケートは、女性のスポーツのイメージが強くマイナーだった。「周りからは、え?スケート?フィギュアスケート?みたいな感じでした(笑)」

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そして今、こんな時代はなかなかないといわれるほど、男女ともに人気と実力を兼ね備えたスター選手が続々と登場し、スケートを取り巻く環境は大きく変わった。

「スケートをしてくれている子は増えていますし、男性にとっても随分と入りやすい世界になったんじゃないかと感じています。それから応援してくださる方の数も増えました。やっぱりそれが一番の変化かなと」

今や日本のフィギュア界を牽引するひとりとなった髙橋選手は競技振興に対する思いも強い。

「これからも、もっともっと多くの方に見ていただいて、スケートをやってみたいと思える子どもたちが増えてほしいなと思っているのですが、それにはスケートリンクが圧倒的に足りません」

せっかくやりたい子は増えても、スケートリンクの定員オーバーで入れなかったり、市や県が運営する公共のリンクは練習としては使えなかったり。もともと通年リンクの数が少ないうえ、やっと練習に使えるリンクに行っても混雑した中で滑らなければならないのが現状だ。

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「僕自身はありがたいことに大学で時間枠を作ってもらっているのですが、それがなければ早朝や深夜になったりして今のような良い練習はできません。フィギュアだけではなくてホッケーだったりスピードスケート、ショートトラックといった競技があるので、各競技で使える時間帯の調整が日本では難しい。海外なら、1つのスケートリンクに2面リンクがあるのもあたりまえで、その差は本当に大きいです」

世界中のスケート環境を見てきた髙橋選手だからこそ感じる個人ではどうにもならない問題に多くのジレンマを抱えている。

「スケートはとにかく場所がなければ始まらないスポーツだと思うので本当に頭が痛いです。リンクを探して日本中を家族で移動しているというのもよく聞く話ですし、このまま環境が整備できないために次世代の選手が育ちにくくなってしまうのではないかと心配しています」

フィギュアスケートがくれた宝もの

世界中の誰もが認めるトップスケーターとして輝かしい実績と栄光を手にした今、フィギュアスケートをやっていて一番嬉しかったことは?という質問には、意外にもメダルを手にした瞬間ではなく、「いろいろな人と出会えたこと」だと答えが返ってきた。
スケートを始めてから19年、ときには不調や怪我に苦しみ、数々の困難を乗り越えてきたからこそ、その道のりで出会った人々の大切さに気づいたという。
特に中学2年生のころからずっと支え続けてくれている長光歌子コーチの存在は大きい。思うような結果が出せずに悩み続けた日々も、何もかもいやになって逃げ出したくなったときも、ときに厳しく、ときには一緒に涙しながら傍らに寄り添っていてくれた。

「もちろん他にも出会えてよかったという人はたくさんいますけど、やっぱり長光コーチがいなければ今の自分は絶対になかったと思います」

長い時間を共にして築かれたゆるぎない信頼関係は、選手としてだけでなく、一人の人間としても大切な宝物となった。

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一番悔しかったことは?とたずねてみると、しばらく考えたあと「うーん...ないかもしれない」とまたも意外な回答が返ってきた。右ひざの怪我を克服しバンクーバーオリンピックで銅メダルを獲得するまでの壮絶な1年3ヶ月について聞いてみても、しんどかっただけで悔しいのとは違ったという。「絶対に行きたいと思っていたオリンピックにも行けたので、正直そこまで悔しいことはなかったかもしれない。もちろん、試合で負けたなどちょこちょこ悔しいことはあります。でもそれは大きなことではないと言ったらおかしいですが、なんて言えばいいんだろう。試合で勝つこともあれば負けることもあるのは当たり前のこと。だから結果は潔く受け入れて、さっぱりと悔しがる(笑)という感じで気持ちを切り替えます」

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いろいろなインタビューで、これまで幾度となく「吹っ切る」という言葉が発せられてきた。

「最後は仕方ないっしょ、みたいな感じです。そこに行き着くまではうじうじしているんですけど、やっぱり最後はしゃーないみたいな(笑)」

そんな風に前向きに吹っ切れるようになったのは「まあここまでやったんだから」と思えるほど重ねた努力があるからこそ。

「試合はとにかく緊張します。その緊張感を力に変えていい演技をするには自信を持てるまで練習や準備をするしかありません。でも実はこれが一番苦手で(笑)。練習量が足りなかったりするとすごく不安になりますし、中途半端な気持ちで挑めば吹っ切れない。最近なんです、悔いのないようにちゃんと準備ができるようになってきたのは」今までどんなに練習してきても自分で納得することは一度もないという。

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「もしも納得するところまで行けたら、もっとよい成績になるはずですから」と明るく笑う横顔には、数々のタイトルを手にした今も自分で限界を引かず、さらに上を目指すトップアスリートとしての真摯な姿が映し出される。
改めて今の目標を問うと「ソチオリンピック。それしかないです」ときっぱり。トリノ、バンクーバーに続いて3回目の出場を目指すソチオリンピック。

「オリンピックの空気感はすべてが特別です。選手として4年に1度の大舞台に調子を合わせる難しさを知っているからこそ、あの場に立てるだけでも感慨深いですし、表彰台に立つ瞬間は言葉では言い表せないほど幸せです。もう一度、あのすごい幸せを味わいたい。僕の座右の銘とまでは言わないけれど、『なんとかなる』って言葉が好きなんです。ポジティブな意味でラフな救いがある感じで。だから自分の可能性を信じてやれるところまでやって、あとはなんとかなると思っておけば、心に少し余裕を持って臨めるような気がします」

まずは自分で経験して感じることが大事

昨年よりUSFの賛同者に名を連ねる髙橋選手。同じく賛同者である荒川静香さんとともに、USFが主催する子ども向けスケート教室「FIGURE SKATING CLINIC FOR KIDS」で30人の小学生たちとの交流を楽しんだ。

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「子どもたちにスケートを教えながら、ソチオリンピックに向けて初心に戻れた気がしました。USFには、これからもいろいろなスポーツの魅力を感じてもらえるような機会や場所を、たくさんの子どもたちに提供していただけたらと思っています」それには子どもの遊びやスポーツを通じて、勉強だけでは学べないこともあることを知ってほしいという想いが込められている。

「自分の経験から、体が強いと精神的にも強くなれると思っています。基礎体力というのは小さなときに養われると思うので、遊びでも真剣でも、どういう形であってもいいから体を動かすということはやってほしいですね」

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まずは自分で経験して感じることが大事

「いろんなことに興味を持って、なんでもやってみて欲しいです。僕も積極的に何かをやろうというタイプではなかったけれど、気が進まなくてもとりあえず顔だけ出してみたら楽しかったとか、必ず何か発見があったから。

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今こうしていろんな国に行ったり、いろんな人に出会えて、視野を広げることができたのもスケートを始めたおかげ。8歳のとき、最初の一歩を踏み出さなければ今も故郷の倉敷から出ることもなかったかもしれない。
だから、まずは自分で経験して感じることが大事かなと思います。うちは両親のおかげでいろいろなことに挑戦させてきてもらいました。はたから見たら少し遠回りに見えることでも自分にとっては全部必要なことだったと今は思いますし、もし自分に子どもができたら、やっぱりいろんなスポーツを経験させてあげたいと思っています」

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フィギュアスケーター
髙橋 大輔
1986年3月16日、岡山県倉敷市生まれ。
関西大学大学院所属。
02年世界ジュニア選手権優勝(日本人男子初)。06年トリノオリンピック8位、10年バンクーバーオリンピック銅メダル(日本人男子最高位)。10年世界選手権優勝(日本人男子初)、07,12年同2位、12年GPファイナル優勝(日本人男子初)、05~07年と09,11年全日本選手権優勝、08,11年四大陸選手権優勝。06,07,10,11年NHK杯優勝。08-09シーズンは負傷により全試合欠場。今シーズンは3度目となるオリンピック出場を目指す。

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