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インタビュー

アスリートからの伝言vol.8 ラグビー 石川安彦さん

考えることが夢をかなえる第一歩

ラグビーを極めて見つけたスポーツの本質

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元ラグビー選手
石川 安彦

見るからにラガーマン。鍛え抜かれた大きな身体から発せられる圧倒的な熱量は指導者となった今も現役選手そのもの。小学6年生のときにテレビで見た早明戦に心奪われて以来、ずば抜けた身体能力と才能を武器にラグビー一筋に歩んできた。20年以上にわたる選手生活の中で何を感じ、何を学んできたのか?選手としての歩みを振り返りながら、今、指導者としてたくさんの子どもたちに伝えていきたい「スポーツの本質」について聞いた。

こんなスポーツがあったのか

「自分で言うのもなんですが、身体能力が尋常じゃなかったんです(笑)」と、自らの子ども時代をそう振り返る。山梨県で生まれ育った3人兄弟の末っ子、小さな頃からスポーツ万能で、言わずと知れた怪物だったという。

「走ってよし、重い物を持ち上げてよし。本当に何をやらせてもズバ抜けていたので、自分にできないことは何もないと思っていました。」

そんな少年がラグビーと運命的な出会いを果たすのは小学校6年生のときだった。

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「ある日、何気なくテレビを見ると関東大学ラグビーの早明戦が放送されていたんです。そこで最初に目に飛び込んできたエンジと黒のストライプ、早稲田のシンボルカラーでした。その瞬間になぜか心をぐっと掴まれましたね、めちゃくちゃかっこいいって。いつか自分もあの色のラガーシャツを着てプレイしたいと強く思ったのが私のラグビー人生の始まりです。」 

そしてもうひとつ。石川少年を魅了したものは、国立競技場の大観衆の中で大きな男たちがぶつかりあって熱戦を繰り広げるその勇ましさだった。

「当時はサッカーをしていたのですが、自分の運動能力には自信があったし、大の負けず嫌いという性格もあってペナルティエリアでも関係なく相手にガンガン当たっていくタイプだったんです。そのことでコーチにもよく叱られていましたし、ペナルティも多くてかなりフラストレーションが溜まっていました。ちょうど身体がどんどん大きくなってきた頃で、元来の気性の激しさと重なってエネルギーが有り余っていたんでしょうね。そんな時にラグビーを見たのでまさに衝撃でした。こんなスポーツがあったのかと。小学生ながらこれは自分に向いていると確信しました。」

その日から自主トレに励む毎日がスタートする。

「頭の中はラグビーのことでいっぱいでした。中学校にはラグビー部が無かったので、サッカーを続けていたのですが、もう完全にラグビーの体力づくりためのサッカーという感じでやっていましたし、家でも父からラグビーを高校から始めるならトレーニングをしろと言われて、毎日5キロを一日も休まず走っていましたね。」

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ラグビーがしたいのにできる環境がない。そんなジレンマをモチベーションへと導いたのは父親の存在が大きかった。

「ある日突然、父がトレーニング機器を買ってきたんです。そして家を増築してトレーニングルームを作ってくれました。父は、何かスポーツをしているわけでもないし、そんなに簡単に増築するほど裕福でもありません。でも、とにかく中途半端なことが嫌いな人で。ラグビーは激しいスポーツだから気軽にできるものじゃない、やるんだったらとことんやれと言って応援してくれました。」

家族のサポートを受けながら毎日努力を重ね、ラグビーの強豪・山梨県立日川高校へと進学。15年連続で全国大会に出場する名門ラグビー部には約70名の部員が所属していたが、入学2週間にしてレギュラーに抜擢される。怪物・石川安彦伝説の幕開けだった。

「周りはコイツ一体何者だ?と言う感じでした。でも高校からラグビーを始める人が多い中、私は中学時代に基本的なトレーニングを積み上げてきましたし、ほら、そもそも身体能力が尋常じゃないから(笑)。プレッシャーとかはまったくありませんでしたね、よし、やってやるぞという気持ちしか。」

その言葉通りに生来のラガーマンとしての才能が一気に開花する。
高校時代の目標は、ラグビーの聖地・花園(全国高等学校ラグビーフットボール大会)で日本一になること、そして高校ジャパンの代表選手に選ばれることだった。全国優勝こそ逃したが、怪物の名は瞬く間に全国へと知れ渡り、2年生にして日本代表の切符を手に入れる。

「嬉しかったですね。はじめての海外でもあるイギリス遠征を経験できたことも大きな刺激になりました。空港からの移動中、ラグビーポールが立っている芝生があちこちにあって、子どもたちがラグビーをしている景色を見て日本との環境の違いを実感しましたね。もちろんラグビーがイギリス発祥の国民的スポーツであることは知っていましたが、実際の人気ぶりを肌で感じて、いつか本場のイギリスのチームでプレイがしたいと強く思いました。」

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スター選手としての華々しい高校時代、実はとてつもなく厳しい練習に耐えてきたという。

「全国でもトップ3に入るくらい練習がきつい高校でした。今では考えられませんが、当時は夏の炎天下でも水を飲むなという時代だったので、本当に辛かったですね。ボールが転がったふりをして溝の水を飲んだこともありました。」そして一瞬間をおいてからこう切り出した。

「実は、僕は当時の指導方法については否定派なんです。確かに苦しい思いを強いることで精神力が鍛えられることもありました。けれど、例えば試合で負けたときに、指導者が罰則としてただ「走れ!」というのは違うと思うんです。自分が走り負けたことが敗因だと思うなら、走り込みが必要だから走ればいい。でも、ただ罰則として練習を課すのは違うのではないかと、当時からずっと思っていました。ラグビーを知れば知るほど強く思うようになりましたね。」

語気を強めてそう語るには理由がある。この頃に抱いた疑問が、今、指導者として子どもに伝えたい「スポーツの本質」のベースになっているからだ。

「私の考えるスポーツの本質とは、まずスポーツそのものを『楽しむこと』。これが一番大切ですね。自分自身を振り返ってみても、試合で勝ったり、自分が活躍することだけでなく、もっと仲間と共有する時間を楽しめたらよかったなという反省もあるんですよ。もうひとつは『考えること』。強いチームの中で監督に言われるままにプレイしてきたので自分で何かを考える必要がありませんでした。でも、自分たちはどんなラグビーがしたいのか、そういうラグビーをするためには何が足りないのか、そんな風に自分たちで考えながら練習ができたら、それが結局スポーツそのものを楽しむことにつながるし、スポーツ以外の場面でもプラスになると確信しています」

初めての挫折

子どもの頃からの夢だった早稲田大学には、高校ジャパン代表のエースとして鳴り物入りで入学。1年目の早慶戦から怪物ぶりを発揮し、順風満帆な日々を送っていた。ところが3年のときに公式戦で膝の靭帯を切る大怪我を負い、それまでの人生が一転する。

「今でこそ自分を振り返る大きなきっかけだったと言えますが、あのときはきつかったですね。高1からずっとレギュラーとして試合に出続けてきた自分が試合に出られないなんて、考えたこともなかったですから。手術後にリハビリを1年ぐらい続けなければならなかったのですが、もう一度レギュラーに復帰してやるぞという前向きな気持ちにどうしてもなれなくて。なんで怪我なんかしたんだろうとか、そんなことばかり考えていました。」

もともと超がつくほどのポジティブ気質。それなのに、どうして?

「リハビリ期間中に2軍以下の選手たちと一緒にトレーニングをしていても、なんでこんな下手なヤツらとやらなくちゃいけないんだとか、悶々としていました。挫折で鼻を折られたんです。それまで何もかもが上手く行き過ぎていたから、自信過剰でイヤな奴だったんですよ。自分でもなんであんなに調子に乗ってたんだろうと思います。」

そんな日々の中に、少しずつ変化が訪れる。

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「ずっと彼らとやっているうちに色々見えてくるものがありました。早稲田には約160人くらいの部員がいて、3・4年生で10軍にいたらどう頑張っても試合には出られないんです。でも彼らは練習が終わったあともずっと走っていたり、毎日ひたむきに努力をしている。それである日聞いてみたんです。なんでそんなに頑張れるの?って。そうしたら、早稲田でラグビーをするという子どもの頃からの夢が叶った今が楽しくてしかたがないと言うんです。ハッとしましたね、自分だってそうじゃないかと。それでレギュラーじゃないとか、つまらないことで前向きになれないダメな自分に気づくことができました。それがターニングポイントですね。」

そうして見事レギュラーに復活し、4年生で主将を務めたときもこの経験が支えになった。

「試合に出られず苦しみながらも、懸命に努力をする仲間の存在を身近に感じることができたのは、大きな財産です。ラガーマンは熱いんですよ。試合前に控え室の電気を消して選手たちで部歌を歌うのですが、ほぼ全員泣いてます(笑)。自分たちは試合に出れない仲間たちの想いも、みんなで今まで流した汗も全部背負っているんだと。心からそう思えるようになりました。」

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卒業後、数多のオファーの中から選んだ先は、当時トップリーグの日本一だった東芝府中(現・東芝ブレイブルーパス)。

「自分と同じポジションのライバルたちがいる強いチームで荒波にもまれて、レギュラーを勝ち取ってやるんだという意志をもって入りました。」

ところが実際には3年間1度も試合に出られなかった。

「学生時代と社会人とではレベルの差は歴然でした。試合に出られなくてモチベーションが上がらず、なんとなく練習をこなすだけの毎日が続いて。当時ブームだった格闘技からの誘いもたくさんあって、安易にそっちの方が稼げるかもなんて現実から目を背けてばかりいました。怪我をしたときに学んだはずなのに、また同じことを繰り返したんですね。」

そんな状態から救ってくれたのが中学時代の友達からの一言だった。

「地元の山梨に帰ることがあって同級生2人と食事をしたんです。私はあえて関係ない話ばかりをしていましたが、突然、「ラグビーはどうなんだ?やってるのか?」と核心を突かれました。触れられたくない話題だったので、普段なら「うるせえな」と流してしまったかもしれませんが、そのときは何も言えず、涙が溢れて止まらなくなったんです。「俺たちがどれだけ応援しているのかわかっているのか?何やってるんだ」という言葉が胸に刺さりましたね。」

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翌日から練習の取り組みから食事改善まで、できることは何でもやった。4年目からはついにレギュラー入りを果たし、2002年には英国ロサリンパークRFCでもレギュラーとして活躍する。高2から抱き続けていたイギリスでプレイするという夢を実現したのだ。

「ラグビーだけでなく自分自身が成長するうえでとても貴重な経験でした。意外にもあっさりレギュラーになれたのですが、語学力がまったくなくて。ある日、試合に負けた後のミーティングで自分の意見を伝えられずチームからの信頼を失ってしまいました。
監督から「英国でラグビーを学びたかったら、英語は最低限の準備だろう、なぜそれを怠ったのだ」と言われ、これまで英語を身につける努力をしてこなかったことを心底悔やみました。イギリスに行きたいと思っているだけでなく、そのためには何が必要なのかをちゃんと考えていれば、もっと早くからできることがあったのにと。翌日から中高生たちに混じって語学学校に通って猛勉強しましたが、ここでもまた考えることの大切さを痛感しました。」

オフシーズンにはひとりでイギリスの田舎町やヨーロッパ各国を旅して回った。自分のことを見つめ直す時間だったという。それからミュージカルにもハマっていたと、少し照れながら教えてくれた。

「チケットが安いし何気なく行ってみたら、躍動感溢れる舞台にすっかり魅了されてしまって。練習後やオフの日にはよくミュージカルを観に行っていましたね。たとえば同じオペラ座の怪人でもキャストが3パターンあって、そのすべてを鑑賞したりとか(笑)。

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私の場合、台詞とか歌とか間違えたらどうするんだろう?これだけの観客の前でこれを演じるまでにどのくらい練習を積んだのだろうとか、そういう視点になっちゃうんですよね。スタジアムに上がるために日々努力をするラグビーといっしょだなとか、そんな風に自分と重ねて観ていました。」

やはり、どこまでもラガーマンなのだ。
イギリスから帰国後、三洋電機ワイルドナイツ、セブンス日本代表、日本A代表入り、釜石シーウェーブスなどラガーマンたちの憧れの舞台でラグビーの髄を極め、2008年に現役を引退。現在は、関東学院高校ラグビー部のヘッドコーチを務める傍ら、被災地や全国を訪問し、子どもたちにタグラグビーを通じて夢を持つことの素晴らしさとスポーツをすることの大切さを伝えている。

「今まで200校近くの小学校を訪問して、たくさんの子どもたちと接してきました。皆で一生懸命走って、汗をかいて、無邪気に笑っているところを見ると、やっぱり子どもはいつの時代も変わらないんだなと思いますね。」

子どもたちの話になると、とたんに優しい笑顔になる。

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どんなときでも、させるのではなく、楽しみながらできるように導くことが大事。それが指導者としてのポリシーでもある。

「プログラムの中でいろいろな演出をしています。どうしたら勝てるのかを自分たちで考えて力を合わせないと勝てないゲームを作って、運動能力の差に関係なく成功体験を得られるようにしています。指導者は負けたチームでも、きちんとルールをと守れていたとか、いいところをしっかり見ておくことが大事ですね。最後に、このチームはこういう部分が素晴らしかったね、と褒めてみんなで拍手を送る。そういう体験が子どもたちには嬉しいし励みになりますから。」

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今、一番したいことは、運動嫌いな子どもたちを運動好きにすること。試合に勝つためのチーム作りやラグビーの振興よりも「まずはスポーツを好きになってほしいということが一番なんです。」という。

「単純に運動して汗かいたら、気持ちもいいし身体にもいい。それからスポーツで得た達成感や仲間は、将来自分の夢や目標を達成する上で大きな力になり、人生を豊かにしてくれます。その夢や目標がスポーツ以外の部分でも、スポーツでの成功体験は必ず役に立ちます。これは私がずっとラグビーを続けてきて得たことだから、自信をもってそう言えますね。だから、夢や目標を持って、そのためにできることは何かを考え、毎日努力すること。スポーツを通じて、そういうことを子どもたちに伝えられたら最高ですね。」

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元ラグビー選手
石川安彦(いしかわ・やすひこ)
1976年1月28日、山梨県甲府市生まれ。
小学生でラグビー選手を志し、山梨県の強豪日川高校に入学。3年連続全国大会8強入りを果たし日本代表選手に選出される。早稲田大学では1年生からレギュラー入り、4年時に主将を務める。卒業後はトップリーグの東芝府中ラグビー部(現・東芝ブレイブルーパス)、2002年から英国ロサリンパークRFC、三洋電機ワイルドナイツ、釜石シーウェーブスに所属。7人制ラグビー元日本代表。現在は関東学院高校ラグビー部ヘッドコーチ、日本ラグビーフットボール協会リソースコーチなど、指導者として日本全国で活躍中。

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