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インタビュー

アスリートからの伝言vol.9 バドミントン 小椋久美子さん

自分をどこまで信じきれるか

日本にバドミントンブームを巻き起こしたオグシオ時代。そして無限大の未来を語る

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元バドミントン選手
小椋 久美子

3月のある晴れた日、約束の時間より少し早く現れた小椋さんが、「ここまで歩いてくる途中に桜が咲いていましたよ」とにっこりと笑うと、その場の空気がふんわりと和む。現役時代のキリリとした印象とはまったくちがう、柔らかな空気を纏った人だ。引退から5年、オグシオペアとして日本に一大バドミントンブームを巻き起こした選手時代を振り返って今思うこと、リオ五輪の注目選手、そして未来への挑戦について語ってもらった。

バドミントンが大好き、それが私の原点。

「最近、ハマっているのがカフェで読書することなんです。今日もここに来る前に寄ってきたんですよ」

写真撮影の合間に自然体でそう話し出す。好きな作家は道尾秀介、湊かなえ、横関大・・・・それから最近は恋愛マンガがおもしろくて、と少し照れ笑い。ゆったりと過ごす自分の時間を心から楽しんでいる様子がこちらにも伝わってくる。

「小さいことでも幸せだって感じられる人が一番の幸せ者だと思うから」という自身のブログに書かれた言葉通り、日々の暮らしを大切にしているのだろう。まずは最近の活動についての質問から。

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「引退してから一番多くさせていただいているのは、USFのスポーツキャンプをはじめ、日本全国を巡りながら子どもたちを中心にバドミントンを教えることですね。教えるといっても、選手の育成や強化というより、バドミントンを通じてスポーツを好きになってもらえるようなきっかけづくりを目的としています」

もともと保育士になりたかったほどの子ども好き。子どもたちと一緒にわいわいスポーツを楽しむ時間が最高に楽しいという。そうした触れあいの中で、バドミントンの魅力を再発見したりすることは?と聞いてみると、

「自分が子どもの頃に、バドミントンが大好きで楽しくてしかたなかったことを改めて思い出しますね。のびのびとプレイできる環境の中で思いっきり味わったあの楽しさが私の原点だなって。だから子どもたちにもスポーツの楽しさを知ってもらいたいんです。好きなスポーツに出会えることで、目標をもったり、その目標のためにどう頑張ろうかとか、そういうことを自分で考えて成長していけると思うから」

と、自らの経験と重ねつつ、指導者としての顔を覗かせる。
バドミントン人生の始まりは小学校2年生。兄や姉の影響で地元のスポーツ少年団に入ったのがきっかけだった。

「もともと外で身体を動かすのが大好きだったから、本当はサッカーがやりたかったんです(笑)。でも当時そこにはバドミントンかミニバスケットの2つしか選択肢がなくて。私にはたまたまバドミントンがあっていたけれど、もし違う競技だったら今のような結果が出せずにいたかもしれない。そう考えると、子どもの頃にいろいろなスポーツに触れ、たくさんの選択肢の中から自分にあったスポーツを自分で選べる環境ってとても大事ですよね。」

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子どものときからスポーツをしてほしいと思う理由はそれだけではない。小学生くらいまでにいろいろな運動を経験することで、身体の使い方やバランスのとり方など基礎的な運動能力が養われるからだという。

「わたし自身、今、趣味でサッカーをしていますが、大人になってから他の競技に挑戦しても、子どもの頃に知らず知らずのうちに身についた能力が活かされているなと感じています。身体を動かすと気分も爽快になるし、体力がつくといろいろなことが億劫でなくなるんですよ。例えばちょっと距離はあるけど歩いちゃおうとか、そうすると心も身体もどんどん元気になるでしょ?だから、わたしは子どもたちがスポーツをやってみようと思うきっかけづくりをお手伝いできればいいなと思っています」

自分の弱さを見られるのが怖かった選手時代

趣味でサッカーを楽しんでいるという話の中で、ポロリと言った「トップを極めるのはそう簡単じゃないから」という言葉が印象的だった。社会現象とまでいわれたバドミントン界のスーパーアイドルとしてメディアを賑わす一方で、選手時代に積み重ねてきた汗と涙はいったいどれほどのものだったのか。

「現役時代に一番つらかったのは、アテネのオリンピックレースがスタートしたばかりの5月、練習中に左足小指を骨折したことですね。どうして今なの?と絶望感に打ちひしがれました」 

医師からはボルトで固定する手術が必要で、治るまでに半年かかると診断された。

「今は絶対に無理、手術はしないと言っていました。とにかく玲ちゃん(潮田玲子選手)に申し訳なくて。それが一番きつかったですね」

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その時、コーチから言われた「怪我には意味があるんだよ、神様が休んだらいいんだよと言ってくれている時間なんだから。この試練も自分にとっていつか必ずプラスになることなんだよ」という言葉が転機になった。

「しばらくは、神様がいるならどうしてオリンピックが終わったあとじゃないの?と納得できなかったのですが、怪我には意味があるという言葉の真意について何度も考えているうちに、そういえば確かに少し練習の手を抜いていたなとか、体重も増えていたし自己管理もちゃんとできていなかったなとか、自分の中の甘い部分に気づいたり、人に対して思いやりに欠けていたところとか、バドミントンのことが本当に好きでやっていたのかなとか、いろんなことが頭に浮かんできたのです。これなら怪我してもしょうがないなって、やっとそのとき受け入れられたんです。それから手術をしてリハビリをして、また一からスタートしようと前向きに考えられるようになりました」

一番つらかったときに立ち直るきっかけをくれたコーチの言葉は、今も人生を支える大切なものになっている。

「バドミントンだけではなく、例えば仕事でつまずいたときや、逆にすごく上手くいっているときにも必ず、私は今ちゃんと地に足が着いているのかなとか、この仕事はやっぱり好きだからやっているんだよねとか、自問自答を繰り返しながら自分を客観的に見つめ直すようにしています」

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アテネオリンピックに出場できなくてよかったかもしれないというのが、当時を振り返る今の正直な気持ちだ。

「もし、あのとき出場できていたら、成績も残せず北京に行くまでモチベーションが保てなかったかもしれません。客観的に見てまだ実力が伴っていなかったし、オリンピックというものがどれほどの重みをもつものなのかということもよく理解していなかった」

肉体的にも精神的にも追い詰められてくオリンピックレースの中で、先輩たちがボロボロになりながらも結果を残して出場した姿を目の当たりにして、今の自分たちの気持ちでは出られるわけないと思い知らされた。

「あれだけ死に物狂いじゃないと出られるものじゃないんだって、玲ちゃんと2人でとことん話し合いました。それで、一緒に北京に行くために死ぬ気でがんばろうと覚悟ができました」

悔しさをバネに壮絶な努力があったからこそ、北京へのチケットを勝ち取ったときの喜びはひとしおだった。

「実際にあの舞台に立ってみると、オリンピックは言葉では表現できないほど特別な世界でした。やっぱり4年に一度という重さがそうさせるのでしょうね。たくさんの方々の想いや期待に応えたい、メダルを獲って日本に帰りたいという気持ちももちろんありましたが、この日を目指して頑張ってきた自分たちの4年間を背負っているという感覚が一番大きかった気がします」

実はオリンピックでの試合のことはあまりの緊張でほとんど憶えていないのだそうだ。

「もともとすごく緊張するタイプなので、試合前には必ず周りの音が聞こえないくらいのボリュームで音楽を聴きながら、自分で決めたウォーミングアップ方法で集中力を高め、周りが近寄れないくらいに自分を追い込んでいました。相手に自分の弱いところを見られるのが怖いという弱さがあったから、そうしている部分がありましたね。私だけではなく、スポーツ選手には強い気持ちと弱い気持ちが紙一重のところがあって、それぞれが抱える不安をどう払拭するかが勝敗に大きく影響するのだと思います。私の場合は、これだけやったんだから、目の前の相手に負けるはずない。絶対、相手より練習をしてきたんだから。というのを自信に変えていましたね」

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それでもオリンピックの舞台には魔物がいた。

「玲ちゃんも私も思った以上に緊張していました。コートに立ったときには足が張り付いたようにまったく動かなかったんです。そうなると人間って脳もフリーズしちゃうから、普段は無意識のうちに連動している頭と身体がちぐはぐになって、相手との駆け引きどころか、ひとつひとつのラリーのことしか考えられなかったという感じです。ただひとつ体育館のエアコンの風が強かったなということくらいしか思い出せないんです(笑)」

え?風?

「試合会場にはどの国でもエアコンの風が吹いています。あの時はいつもどおりに打つと1メートルずれるくらいの強い横風でした。でも選手たちはそれを練習のときから当たり前のように調整しながらやっていますから。あとは大会によって飛ぶシャトルかそうでないシャトルかも違います。北京では軽めのシャトルだったので余計に風にのっていくんです。飛ばないシャトルだと自分の体を近づけて前に出て打ったりうまく調整できるんですが、飛ぶシャトルだと身体を止めて打たないといけないから緊張しているとコントロールができなくなっちゃうんです。だからそういうこともありましたね。これって皆さんにはあまり知られていないことなんですね、っていうことに今気づかされました(笑)」

バドミントン界に吹く新風

元オリンピック選手として、今注目の選手は?

「次のリオでは、高橋礼華・松友美佐紀(日本ユニシス)ペアですね。一度世界ランク1位になっていて、中国の選手とも互角に戦える実力があります。強さの理由はずっと2人で組んでいるのでコンビネーションがいいこと。そして前衛の松友選手は読みもゲームを作っていくのもすごく上手なんです。シャトルが来てから出すまでに相手をわざとひきつけたり、相手が取りにくいリズムをしかけていくといった独特の間があるんですね。だから彼女のプレイを苦手とする選手は多いと思いますよ。後衛の高橋選手は身体のバランスがいいから、カバー力、ダイナミックなスマッシュ、コースどれもすごくいいんです。2人ともシングルスのプレイヤーでもあるので、動きの幅が凄く広いんですよね。変な話、違う人と組んだら上手くいかないんじゃないかなと思うくらい2人の相性は抜群です。それから、前田美順・垣岩令佳(再春館製薬所)ペアも注目です。この2ペアが試合をしたらどっちが勝つかわからないですよ」

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鉄の壁といわれた中国の強豪選手たちにも勝てるようになった今の日本のバドミントン界をこう分析する。

「まず選手たちの意識が変化しているなと感じます。選手の育成にも注力するようになったことで、小さなときから選手たちが世界に出る機会が多くなって、自分たちでも勝てるというメンタル面での自信がついてきたとが大きいと思います」

自身も、自分たちはどんな相手にも勝てる選手なんだという強い気持ちで臨まなければ、世界では絶対に勝てない。という意識改革をしてくれたパク監督の指導によって一段上に成長できたと振り返る。

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そして2つ目は、選手層が厚くなったこと。

「先日、テレビの企画で小学生の双子のダブルスプレイヤーと対戦したときに、時代は変わったなと思いました。今は始めからシングルスとダブルスのプレイヤーがきちんと分かれていて、小さなときからどちらかに絞った練習ができるんですね。そもそもシングルスは空間を使うけどダブルスはネットギリギリの競技というように、考え方も戦術もまったく違う競技なんです。だから、それぞれの専門の選手が多くなることで世界的にもレベルが上がってきました。それはそれでいいことだと思いますね」

現在、後進の育成についてはあまり考えていないと言うが、その熱い語り口にはバドミントンへの愛情に溢れている。かつてマイナースポーツと呼ばれたバドミントン界を一変させ、現在の土台を作ったのはオグシオ人気の功績では?という質問には、まったく気負いなくこう答える。

「バドミントンをやりたいと思う子どもたちが増えたということは聞いていたので、とても嬉しいなと思っていましたが、それが今のバドミントン界にどれだけ影響しているのかはわかりません。ただ、選手が残した結果で支援金が増えたりするので、そういう意味で後進の選手たちの育成に貢献できたとしたら嬉しいですね」

驚いたことに日本中がオグシオブームに沸き立っていた頃も、ジャージ姿で自転車に乗って近所に食事に出かけたり、映画をレンタルしたり普通に過ごしていました(笑)という。清々しいほどの自然体、そしてやっぱりオオモノなのだ。

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困難を乗り越えることで強くなれる

今、活躍の場はバドミントンの世界に限らない。スポーツ番組での解説やバラエティ番組などテレビ出演にも力を入れている。

「最初は自分が決めたスポーツ選手はこうあるべきという型にはまっていたところがあって、テレビ番組のお話をいただいても全部断っていたんですよ。そんな時、ある尊敬する方に、自分の弱さを知っているほうがいい。自分のやりたいことと、求められてることは違うんだよと言われてスッと楽になったんです。弱いところやできないことを人に見せてはいけないという鎧を脱いでもいいんじゃないかって」

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子どもたちを指導する現場でも、小椋さんってもっと怖い人だと思っていましたと言われることがよくあった。

「試合中の険しい顔だけじゃなくて、本来の自分をもっと知ってもらいたいと思うようになりました。子どもたちに怖いなんて思われたくないから(笑)」

だから、これからは自分らしさを出せるバラエティ番組にもどんどん出たいという。

「何かをやってくださいといわれたら、とにかく挑戦しようと思えるようになりました。時には自分がやりたいことではないこともあるけれど、それを見た誰かがいいと思ってくれたりすることで、自分にプラスになることもあるなということを、この言葉のおかげで気づくことができました」

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そしてこうも続ける。

「人は困難を乗り越えることで、次にまた何かが起こっても大丈夫という自信に繋がって強くなれるのだということを選手生活から学びました。苦労をしながらも自分の足でひとつずつ階段を上ってきた人の方が人の痛みが分かるし、そういう人間味のある人に憧れます。だから、人の意見に耳を傾けたり、外に目を向けて視野を広げて、これからも自分の未知なる可能性を広げていきたいと思っています。」

最後に子どもたちへのメッセージ。

「いつも、どんなことでもいいから目標持ってくださいと伝えています。そうすることで努力するようになるから。でも目標が低ければそれ以上の努力もしないし、それ以上の結果も出ない。だから自分の可能性に限界をつくらないで少しでも上をめざしていって欲しいと思っています」

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スポーツインストラクター(元バドミントン選手)
小椋 久美子(おぐら・くみこ)
1983年7月5日、三重県生まれ。
8歳の時、姉の影響でバドミントンを始める。強豪四天王寺高校へ進学後、2000年全国高校総体ダブルス準優勝、2001年全国高校選抜でシングルス準優勝を果たす。三洋電機入社後の2002年、全日本総合バドミントン選手権シングルスで優勝。その後、塩田玲子選手とダブルスプレイヤーに転向し、「オグシオ」ペアでバドミントンブームを巻き起こす。北京オリンピック5位入賞、全日本総合バドミントン選手権では5連覇を達成し、2010年1月に現役を引退。現在は解説や講演、子供たちを中心にバドミントンを通じてスポーツの楽しさを伝える活動を行う傍ら、バラエティ番組などでも幅広く活躍中。

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