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インタビュー

アスリートからの伝言vol.10 ウエイトリフティング 三宅宏実さん

一瞬一瞬を全力で突き進む

小さな巨人が目指す4回目のオリンピックその熱き思いと果て無き挑戦

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ウエイトリフティング選手
三宅 宏実

身長146センチ。極限まで鍛え抜かれた身体が積み上げられてきた努力の日々を物語る。小さな巨人という表現がこれほど似合う選手が他にいるのだろうか。中学時代にテレビでシドニーオリンピックを見て感動し、ウエイトリフティングの選手になった。夢だったアテネ、北京、ロンドンオリンピックへの出場を果たし、世界が注目する中、銀メダリストとして4回目のオリンピックに挑む。リオへの意気込みと一瞬の勝負に込めるアスリートとしての熱い思いを聞いた。

私にとって今が勝負どころ

愚問だと知りつつ、今の目標を。

「やっぱり最大の目標はリオオリンピックでメダルを獲りたい。でもまずはオリンピックに行くことですね。そのためには11月に行われる世界選手権の48キロ級で優勝を目指さなければと思っています。リオ開幕まで1年を切っている今、目の前にある一つひとつの目標をクリアしてステージアップできたらいいなと考えています」

テレビのインタビューなどでお馴染みの柔らかな三宅スマイルで、気負いなくそう答える。4回目のオリンピックということについて聞いてみても

「あまり意識することはないですね。自分の中では常に初めてのオリンピックだと思って挑んでいるので、気づいたら、あぁ、もう4回目なんだという感じです。もちろん、ひとりのアスリートとして夢の舞台にもう一度挑戦できるのはとても幸せなことですし、その可能性がある限りチャレンジしていきたいと思っています」

と、いたって自然体だ。

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実は、この前向きな目標が持てるまでには2年という時間が必要だった。ロンドンオリンピックで銀メダルを獲ってから、しばらくは競技者としてのモチベーションが保てず悶々とした日々を過ごしていたという。

「ずっと目指してきたメダルを獲ることができて、自分の中で何かがふっと切れてしまったんです。それは選手生活の中で初めての経験でした。それからなかなか次の目標に向かっていけなくて、自分でもどうしていいのか分からないまま1年、2年と時間が過ぎてしまいました。いつも冬季オリンピックが始まると、あ、そろそろだな、オリンピックまであと2年しかないぞ、頑張らなくちゃとスイッチが入るのですが、ロンドンオリンピックの後はまったく記録が戻らず、ひたすら悩む日々でした」

そうした中で4回目のオリンピック出場を目指そうと決めたきっかけは何だったのか?

「特に何かあったというわけではないですが、やっぱり家族をはじめ、応援してくださるたくさんの方々にもう一度、自分が結果を出すことで恩返しをしたいという気持ちが一番大きかったですね。自分ひとりの力ではもうとっくに心が折れてしまっていました。でも、今こうしてなんとか頑張ることができるのは、本当にたくさんの方々に温かく支えていただいているからなんです。だから、まずは秋の世界選手権でしっかり結果を出して来年に繋げたい。私にとって今が勝負どころだと思っています」

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何度も口にする周囲への感謝の言葉には、トップアスリートとして歩み続けてきた15年間の歴史が詰まっている。これまで多くの応援の言葉に励まされ、力をもらってきた。印象に残る出会いのひとつはロンドンオリンピック直後のこと。

「声が出ない障がいをもった方がいらっしゃって、そこにあった紙ナプキンに ""感動しました。勇気をありがとう"" と書いて渡してくださいました。私は、ただ全力でオリンピックに挑むことしか考えていなかったけれど、それを見てこんな風に何かを感じてくださった方がいることに驚きました。そして純粋にとても嬉しかったですね。アスリートとして頑張る姿が、誰かの何かをするきっかけだったり、ひとつの力になったとしたら、それは光栄なことだと。私自身、中学生のときにシドニーオリンピックを見て、自分もいつかこの舞台に立ちたいと思ったのが選手になるきっかけだったので、オリンピックの影響力は大きいなと感じています。だから、現役選手でいられる以上は、力の限りを尽くすことが最大の使命だと思っています。それによって、どこかで誰かを少しでも勇気づけることができるのなら、それも私ができる恩返しのひとつなのかもしれませんね」

練習は自分の自信をつくるもの

ウエイトリフティングを始めたのは中学3年生。メキシコオリンピック銅メダリストである父・義行氏の指導のもと、あっと言う間にその才能を開花させていった。10代から今まで監督としてずっと傍で支え続けている義行氏とは、親子だからこその衝突はなかったのだろうか。

「父とはあまり喧嘩とかしたことはないですね。こちらが何か言ったところで2倍、3倍になって返ってきますから(笑)。私の意見が通らないことが多かったけれど、反抗することもありませんでした。1日のほとんどが父と過ごす時間でしたし、それがほぼ毎日でしたから。毎日顔を合わせる相手に反抗して練習を見てもらえなかったりする方が辛いですからね(笑)。もちろん、練習中に何度も失敗して厳しく指導されることもありましたけど、いざ、集中するべきときにいないと集中できなかったりして。やっぱり私にとってはそこにいてくれるだけで励みになったり、安心できたりする大きな存在なんです」

三宅選手の強さの秘密は、父だけではなく家族の存在も大きい。

「父、母、二人の兄の5人家族ですが、いつも私が練習に集中できる環境を整えて皆で協力してくれました。私は与えられた環境の中で練習をするだけでよかったんです。こんなに恵まれた選手はなかなかいないと思うので、家族には本当に感謝しています」

そしてこうも付け足す。

「他のアスリートたちともよく話すのですが、結局、みんな最後に帰っていく場所は家族なのかなって。私が今日までウエイトリフティングを続けていられるのも、どんなときでも家族が支えてくれたということが大きかったですね。怪我をして私自身が諦めそうになったときも、いろんなところを探して治療を受けさせてくれたり、母が毎日バランスのよい食事をすべて手作りで用意してくれたり。もともと食が細かったこともあって、たくさんの小鉢にちょっとずつ、見た目でも楽しめるように工夫してくれるんです。そんなひとつひとつの優しさに支えられて、ここまで前進することができました」

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家族の深い信頼関係をベースに、義行氏との二人三脚は現在も進行形だ。選手としての成長が認められ、25歳を超えてからは三宅選手の意見が尊重されるようになったという。

「今はすごく温かく見守ってくれているというか、好きなようにさせてくれています。私を信頼してくれているからこそだなと思うと、より一層頑張らなくちゃと気合いが入りますね。練習メニューも自分で考えて「こういうふうにやりたいんだけど」と父にアドバイスをもらったりしていますが、まだまだ失敗することもいっぱいで、調整もよくなかったなとか課題がたくさんあります。オリンピックまでにあと2回大きな試合が残っているので、自分で試行錯誤しながら早くベストな形にできたらいいなと思っています。いままで何もかも父やまわりの方に頼りっきりでしたから、私のそんな様子を見ている父の方が9割ぐらい言いたいことを我慢しているんじゃないでしょうか(笑)。最近はストレス発散のためによくゴルフに行ったりしていますよ、そうじゃないとやっていられないんだと思います(笑)」

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多くのアスリートがオリンピックの難しさは、4年に1度の一瞬に心身すべてのピークをあわせることだと口にする。三宅選手が3回の出場経験から学んだ秘策は?と聞いてみると、

「うーん。やっぱり4年に1度しかない決められた日の決められた時間帯に、最高のパフォーマンスを発揮できるのかということは、とても難しいですね。4年ってすごく長いじゃないですか、その分、歳もとるわけですし、怪我をすることもある。いろいろなことを乗り越えて強くなるために、一番大事なのはやっぱり精神力だと思いますね」

メンタルを強くするためには、自分を信じることができるまで練習を積むしかないと断言する。競技人生の中で確信しているのは、普段の練習でできなかったことは本番では望めないということ。

「練習の過程できちんとこなせていたら、自信を持って試合に臨めますが、何か後悔や不安がある時は、絶対にそういう結果しか出ないですね。練習は自分の自信を作るものだと思っているので、そういう過程が重要ですね」

そう語りながら、いままでで最も心に残る試合だという北京オリンピックを振り返る。

「北京では多くの方々に期待していただいて、メディアの方もたくさん来てくださっていましたが、怪我があったり、自分が出せる記録がどれくらいなのか、メダルは獲れないだろうということもわかっていながら出場したんです。結果は案の定ボロボロで、全世界が注目するビックイベントで勝者と敗者の天と地ほどの差を痛感させられました。帰ってきてしばらくは心にポカンと穴が空いた状態でしたが、今振り返ると、あの悔しさを経験したことが私を強くしてくれたと思うのです」

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そしてトップアスリートに必要な屈強な精神力は、今も開発途中だと笑う。

「以前よりはだいぶよくなりましたが、今でも心が折れるときって凄く早いんですよ。怪我をしたり、思い通りに練習ができなくて先が見えない日が続くと、どんどんメンタルがやられてしまいます。目前に試合があったりすると、焦りと恐怖に押しつぶされそうになってコントロール不能なくらい落ち込みますね。それでも練習をしなくちゃいけない、バーベルに触らなくちゃいけないと思うと、毎日朝を迎えるのがすごく怖いんですよ(笑)」

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15年の選手生活の中で、いい時も悪い時も経験してきた。自分の弱さに何度も向かい合いながら一歩ずつ成長を続けている。

「自分の中にある不安や怖さを乗り越えることで、少しずつメンタルが鍛えられてきたと思います。いつまでも弱いままでいたら次のステージにはいけませんからね。今も記録が少し低迷していて、先が見えない状態に直面していますが、これを突破するには、今ある課題から逃げずに正面から向かい合うしかありません。それまでの過程はすごく辛いですけど、トライ&エラーを繰り返すことで考える経験にもなるし、努力が記録として反映されたときに、またひとつ乗り越えられたという自信に繋がります。競技に関わらず仕事や日常生活でもそうですよね。目標を達成するために試行錯誤する過程が人を成長させてくれる。そしてひとつ目標をクリアしたら、また次の課題がでてきて、たぶんずっと死ぬまでそうやっていくことが楽しいんじゃないかな。私ももうすぐ30歳になるので、今はアスリートとして挑戦することができる幸せを嚙みしめながら、後悔のないようにやるべきことはすべてやって突き進んでいきたい。もうそれしかないですね」

ウエイトリフティングは駆け引きがおもしろい

自分の体重の倍以上のバーベルを頭上まで挙げるウエイトリフティングは、筋力と技術だけでなく、精神力や戦略も重要なスポーツだといわれている。選手たちは「スナッチ」と「クリーン&ジャーク」という2つの挙上方法を各々3回ずつ行い、それぞれのベスト重量を合算して順位を競う。三宅流おすすめの見所を聞いてみた。

「いろいろありますが、世界の大会では各国から個性的な選手が集まるので、見ているだけでもおもしろいですよ。男性のような声を出す人もいますし(笑)。試合を堪能するなら、エントリーされた選手の名前と体重と記録をチェックしてみてください。ウエイトリフティングは同じ階級の選手が同じ重量を挙げても同じ順位はないんです。例えば48キロ級の選手が3人いて、みんな100キロ挙げたとき、1位はひとりしかいないので、最初に挙げた方が勝ちとか、体重が軽い方が順位が上になるんです。そういう駆け引きを含めて見ていただくとおもしろいと思いますよ。「スナッチ」のあとに、「クリーン&ジャーク」があるので、逆転をするためには何キロあげたらいいのかとか、数字を割り出しながら、各選手が戦略を練っていますから、メモをとりながら見ると、分かりやすいし、自分なりの楽しみ方をたくさん発見して欲しいですね」

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ロンドンオリンピックでは、1本目は応援してくれる人たちのために、2本目は母のために、3本目は父のためにという思いを胸に試合に挑んだという三宅選手のエピソードはよく知られている。

「そう考えたら失敗できないじゃないですか(笑)。あとがないと自分を追い込んだら絶対に挙げられると思って。伯父(三宅義信氏 東京、メキシコオリンピックの金メダリスト)の本でそう書いてあったのを読んで、あぁいいな、私もそういう気持ちで挑もうと思ったんです」

そういってまたニコリと笑う。その屈託ない笑顔はトップアスリートとして常に重くのしかかるプレッシャーをも楽しんでいるように見える。

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最後に三宅選手にとってのオリンピックとは?という質問をぶつけてみる。

「オリンピックに出場できたこと自体が自分の中の宝物ですね。たとえメダルが獲れたとしても時代が進むにつれて記録が塗り替えられて、いつかは忘れられていくものだと思うんです。でも、辛さや厳しさを乗り越えた瞬間の喜びや達成感は、自分の中で永遠に輝き続けるもの。うーん、上手くいえないのですが・・・夢はあきらめなければ叶うんだということを教えてくれた場所ですね」

4回目の夢の舞台、リオへ向けた三宅選手の挑戦は続いていく。

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ウエイトリフティング選手
三宅 宏実(みやけ・ひろみ)
1985年11月18日、埼玉県生まれ。
2008年法政大学キャリアデザイン学部卒業し、いちごグループホールディングスに入社。中学3年からウエイトリフティングを始め、高校1年で全国女子高校選手権大会を制し、3年生のときに全日本選手権で初優勝。2004年アテネ五輪9位、2008年北京五輪6位、2012年ロンドン五輪女子48㎏級で銀メダル(スナッチ87.0kg、クリーン&ジャーク110.0kg、トータル197.0kgの日本新記録)を獲得。2014年全日本選手権大会にて、通算10度目の優勝を果たす。女子48㎏級、同53㎏級の日本記録保持者。父であり監督でもある義行氏はメキシコ五輪の銅メダリスト、伯父の義信氏は東京およびメキシコ五輪の金メダリスト。

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