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インタビュー

アスリートからの伝言vol.12 アイスホッケー 田中豪さん

これからを輝かせるために、今をどう生きるか。

アイスホッケー日本代表キャプテンが語るこれまでの軌跡とこれからの挑戦。

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アイスホッケー選手
田中 豪

アイスホッケー・アジアリーグの東北フリーブレイズに所属する田中豪選手。現在、チームのキャプテンであり、日本代表でもキャプテンも務めるトップアスリートである。父親と叔父がアイスホッケー選手だったこともあり、幼い頃からアイスホッケーは身近な存在で、リンクへ通えば通うほど憧れのスポーツとなっていたと言う。今回は田中選手に、学生時代から社会人チームでの経験、海外チーム移籍の経緯、さらに東北地方初のトップリーグチームでの活躍の日々など、アイスホッケーの魅力はもちろん、冬季オリンピックを含めた今後の目標について語ってもらった。

挫折の力をプラスに考える

今や日本代表キャプテンを務める田中豪選手。しかし、これまでの選手人生は順風満帆とは言えない様々な出来事があったという。

「高校1年生の時、U-18に選出されたのが最初の日本代表でした。""JAPAN""と入ったユニフォームをもらった時の感動は今でも忘れられません。昔から日本代表になれたらいいなとは思っていましたが、いざ選ばれると、その責任感とプレッシャーの大きさを肌で感じましたね。この時はラトビアでの国際大会に参加したのですが、会場が観客でいっぱいになることがほとんどない日本と違って、ラトビアではジュニアの試合にも関わらず会場は満席。その熱気と大きな声援に驚かされるとともに、ちょっとしたカルチャーショックを受けました。

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初めての代表試合ではあまり活躍できず、自分の力不足を痛感することにもなりました。海外選手との違いはもちろん、同じ代表チームの選手と比べても体力面をはじめ、テクニックなどさまざまな面でのレベルアップの必要性を感じました」

と、アイスホッケーに対する考えが変わったターニングポイントがこの時だったと語る。
学生の頃は氷上での実践的な練習は大好きだったが、陸上での体力づくり練習はあまり好きではなかったといたずらっぽく笑う。

「今思うと学生時代は、筋トレなどにはあまり力を入れていませんでしたね。パックをスティックでリフティングするようなテクニックを磨く練習を好んでやっていました。ただ、日本代表に選出され、国際大会を経験してテクニックだけではクリアできない体格差や当たりの違いを実感。今まで怠りがちだった筋トレを含む基礎練習の大切さ知りました。元々負けず嫌いな性格もあって、基礎体力アップのトレーニングにも時間を費やすようになりました」

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それでも同世代の代表選手は社会人チームから多数スカウトをもらう中、田中選手には大学4年生になっても声が掛からなかった。この時期にスカウトがなければあきらめた方がいいと言われ、一般企業への就職活動を始めた。

「同世代の選手が次々と社会人チームにスカウトされているのを横目で見ながら、そろそろ就職を真剣に考えるようになりました。4年生になってからはアイスホッケー云々より、どこかに就職しなくてはという思いの方が強く、一般学生と同じ就職活動を体験しました。ただ、そんな時に声をかけてくれたのが、""(旧)SEIBUプリンスラビッツ""でした。約2週間のトライアウト期間は、まさに死に物狂いという言葉がぴったりな状態で、アイスホッケーへの想いをより強く意識した瞬間でもありました」

アイスホッケー選手として社会人のスタートラインにたった田中選手だが、さらなる試練が待っていた。それがチーム解散というあまりにも衝撃的な出来事だった。

「2008-09シーズンの途中、ある試合の終了後、突然オーナーがやってきて『来期はチームがありません』と言われたときの衝撃は相当なものでした。みんな防具やユニフォームを付けたまま唖然としていました。その後、怒りをあらわにする人、泣き出す人、いろいろありましたが選手やコーチと話し合い、チーム最後のシーズンをより良い結果を残して終わろう。という事で意識を一つにすることができました。結果、チーム解散という負のパワーをプラスに転化し、モチベーションもアップ。最終的にアジアリーグ優勝には至りませんでしたが、僕自身は同シーズンの全日本アイスホッケー選手権大会でMVPを獲得することができました。さらに、今思えばこのチーム解散という出来事が、海外移籍という新たな未来へ向けての扉を開けてくれたと思っています」

様々な経験から生まれたキャプテンシー

日本代表としてその地位を確実にしつつある田中選手であってもチーム解散という大きな流れは止めることは出来なかった。所属するアジアリーグチームへの移籍も考えられる中、あえてドイツ2部リーグの海外チームへ移籍を決めた。その理由について

「日本やアジア以外の海外チームのことは漠然と頭の中にありました。学生時代に感じたような海外選手との差を埋められているのか、また自分の実力が海外でも通用するのか、チャレンジしたい。そんな思いが次第に大きくなり、チーム解体という自分ではどうにもならないマイナス体験をチャンスと捕らえ、ドイツ2部リーグ・ESVカフボイレンへ移籍を決意しました」

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結果的にはわずか1シーズンの海外移籍ではあったが、多くのことを吸収できたという

「海外リーグに参加して各選手のモチベーションの高さに驚かされました。特に2部リーグだったこともありますが、選手全員が精神的にハングリーであること。そして日本の環境がとても整備されていることを実感しました。例えば、海外では試合ごとの移動時間がとても長くバスで何十時間もかかることが多々ありました。しかも体調や食事に関しても自分で管理するのが当たり前。残された僅かな時間をアイスホッケー練習に費やしていましたが、一人一人の選手誰もが文句を言わずチャレンジを続けているその姿勢に共感しましたね。この経験があったからこそ、アイスホッケー日本代表として最高峰のステージに立ち続けることが出来ている喜びを肌で感じられるのだと思います」

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海外移籍後、2010年再び日本でのアジアリーグ・東北フリーブレイズへ復帰となったが海外での経験はそのプレーはもちろん、同チームメイトへの指針としても生きることとなる。それはルーキーから頼れるベテラン選手へと進化を遂げる時でもあった。

「海外でワンシーズンを過ごし自信を得た時、アジアリーグの強豪である東北フリーブレイズから移籍のオファーを受けました。もう少し海外でやってみたいという思いもありましたが、この経験を日本で活かしたいという考えから移籍&復帰を決意。日本でのアイスホッケーをもっと盛り上げていきたいという想いもあり、東北フリーブレイズへお世話になることを決めました」

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東北フリーブレイズ移籍後、同チームのキャプテンとなったが、選手としてチームをまとめる難しさについて聞いてみると、

「2011-12シーズンが一番印象的なシーズンですね。実際この年はプレーオフにも進出できなかったダメダメのシーズンだったのですが、このシーズンがあったからこそ、キャプテンとしての自分の責任を感じることが出来たと思っています。その理由は、前シーズンは移籍後初、しかもキャプテンとしても初めてのシーズンを迎える中、順調に勝利を重ねていたのですが、東日本大震災の影響で決勝戦が行われず他チームとの同時優勝となりました。この戦力であれば、次のシーズンこそ単独優勝と簡単に考えていたのですが結果がなかなか付いてこない時期が続きました。今まで感じなかったキャプテンとしての責任に押しつぶされそうになった時、ある先輩から『お前はカッコつけ過ぎ。自分一人で悩むのではなくカッコ悪くても相談しろ!』と言われ目が覚めました。一人で抱え込むのではなくチームメイトや監督・コーチとじっくりと話をすることで気持ちが楽になり、自然とコミュニケーションも増え良い環境を創ることができるようになりました。しかし時すでに遅く結果は最悪。但し、この2011-12シーズンの失敗があったからこそ、次シーズンの単独優勝という結果が付いてきたと思っています」

自分から積極的にコミュニケーションを取って問題を解決していく。この精神は日本代表キャプテンとしても活かされていている。一選手からチームをまとめるキャプテンとしての成長を実感し自覚することができた

アイスホッケー普及のために、今できること。

「氷上の格闘技」とも呼ばれるアイスホッケー。リンク上で選手が激しくぶつかり合うボディチェックに目を奪われがちだが、スピード感溢れるスケーティング、華麗なスティックさばき、緻密なセットプレーなど見どころは満載。しかし、普及という面では今一つ広がりが見えない。女子サッカーやラグビーのように一気にメジャーへ昇格させるような起爆剤が必要だ。

「やはり国際大会で目に見える結果を出すことが一番だと考えています。その一つが2018年開催の平昌オリンピック(冬季)出場ですね。日本は1988年の長野オリンピック以来、出場できていません。

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しかし今回は最終予選へ進出することができました。最後の切符を手にするため、練習に妥協はしたくないですね。そしてもう一つが2017年開催の冬季アジア札幌大会です。前々回、金メダル。前回、銀メダルと相性のいい大会で、今回は札幌開催ということもあり、絶対に負けられない大会と言えます。これら大会で良い成績を残すことで、一気にアイスホッケーの注目度アップを目指しています。もちろん、自分が日本代表キャプテンとして参加することが前提ですけどね(笑)」

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日本のアイスホッケー普及のため国際大会で好成績を残すことは速効性が高い。だが継続していくのは難しい。そこでアイスホッケーファンの底辺を広げる活動として、東北フリーブレイズのTSR(Team Social Responsibility)活動がある。企業のCSR活動と同様で「震災復興活動」をはじめ、「アイスホッケー普及活動」「スケート教室」など、チームスタッフや選手が子どもたちにその楽しさを伝える活動で田中選手ももちろん数多く参加している。

「チームで行うTSR活動はとっても楽しいですね。僕もタイミングが合えば出来るだけ参加させてもらっています。子どもたちが目をキラキラさせている姿はたまりませんね。僕の場合は父親や叔父がアイスホッケー選手だったこともあり、自然と競技に入り込むことができましたが、多くの子どもたちはアイスホッケーに接する機会が多くありません。さらにテレビで見る野球やサッカーなど人気スポーツに興味を惹かれる子どもたちも少なくありません。だからこそ、TSR活動など地道な活動と、大きな大会での結果が今後のアイスホッケー界には欠かせないことだと考えています。今僕はその両方を実現できる立場にいるので、ぜひこのすべての実現を目指していきたいと思います」

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挫折を繰り返しながら日本アイスホッケー界のトップアスリートへと登りつめた田中選手に最後に自身を含めたアスリートのセカンドキャリアについて聞いてみた。

「僕を含め三兄弟全員がアイスホッケー選手だったのですが、真ん中の弟が現役を終えてチームスタッフとして活躍しています。しかも同じチームなのですがその姿を見ていると、それが理想のスタイルなのかなと思っています。現役を終えた後はコーチや監督など指導者ではなく、アイスホッケーファンの底辺を広げる活動に携わりたいと思います」

と語る。ただ、まずは日本ナショナルチームのキャプテンとして、2017年のアジア大会、そして2018年の冬季オリンピック出場、そして田中選手の活躍に期待が膨らむ。

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アイスホッケー選手
田中 豪(たなか・ごう)
1983年10月6日、北海道生まれ。
トップリーグのアイスホッケー選手を父に持ち、その影響で6歳からアイスホッケーを始める(中学校卒業まで雪印ジュニアに所属)。北海高校、早稲田大学でアイスホッケー部で活動を続け、大学を卒業後は、アジアリーグアイスホッケーのSEIBUプリンス ラビッツに入団。2007年のアジア競技・長春大会では日本代表の一員として金メダルを獲得。その後、2009年のSEIBUプリンス ラビッツの解散を機に、ドイツ2部のESVカフボイレンに移籍。2010年にアジアリーグ・東北フリーブレイズに移籍。現在同チームのFWでチームキャプテンである他、2012年から日本代表ナショナルチームのキャプテンも務める。

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