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インタビュー

アスリートからの伝言vol.13 パラアルペンスキー 村岡桃佳さん

辛いし、痛いし、寒いし、上達もわからない。それでもスキーが好き。

パラリンピック冬季大会で日本選手最多の5個のメダルを獲得。パラアルペンスキーのエース。

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パラアルペンスキー選手
村岡 桃佳

2018年冬季パラリンピック大会で、日本選手最多の1大会5個(金 1/銀 2/銅 2)のメダルを獲得した村岡桃佳選手。4歳の時に病気の影響で下半身に麻痺が出て歩けなくなり、車いすでの生活となった。小学3年生の時にチェアスキーと出会い、中学2年生で競技スキーの世界へ入る。2014年ソチパラリンピック競技大会では17歳で日本代表に選出され、大回転で5位入賞。そして、平昌パラリンピックで、日本選手最多の1大会5個のメダルを獲る活躍を果たす。
今回のパラリンピックのこと、そして、アルペンスキーとどのように向き合ってきたのかについて伺った。

1種目1種目を全力で挑む

―平昌パラリンピックでの活躍、おめでとうございます!少し時間が経ちましたが、改めて振り返って、どのように受け止めていますか?

村岡 パラリンピックでは、日本人で最高のメダルの数を獲りたいとか、出た種目全て獲りたいとかひとつも思っていませんでした。もちろん「狙える種目は狙って行きたい。」「できる限り、たくさんのメダルを獲りたい。」という気持ちはありました。でも、1種目1種目全力で一番を目指して、自分が出せるだけの力を出そうと思って臨んで、結果として、全種目メダルが獲れたという感じです。
実は、今までの日本人選手のメダルの数の最多が4つだということを知らなかったんです。3種目か4種目終わったぐらいで、5種目メダルを獲ったら日本人で最多だって周囲が言っているのを聞いて「あ?、そうなんだ。」と思ったくらいでした。
それでも、最後の種目の時は「全種目メダル獲得を期待されているよな。」って思いました。でも・・・正直に話すと、その時は「(メダルを)4つ獲っているんだから、もういい(十分)でしょ。」と思っている自分も、ちょっとだけいました。(笑)でもやっぱり競技をしていると、「全種目メダルを獲りたい。」っていう気持ちが湧いていたので、全力を尽くして競技に挑んでいました。

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―最終種目の回転で転倒したもののそこからしっかり立て直されました。転倒した時はどんな思いだったんですか?

村岡 回転は2本滑る種目なんですが、1本目を滑り終わって2番の順位でした。2本目を滑る前に、私の前に滑った選手も、その前の選手も転倒してコースアウトして行くのを見ていました。コースを下見した時も感じましたが「なかなか難しいコース状況だな。」と。
でも、「全力を尽くそう。最後に気持ち良く終わってやろう!」と思ってスタートしました。
とはいえ、コースの状況や私の気持ちもあったと思いますけど、全然、思ったように滑れなくて、最初の方で転倒してしまって・・・。その時「あっ、やっちゃった〜。これで私のパラリンピック終わった。」って思ったんです。でも、幸いにもコテンっと転んだだけで、ギリギリコースに入れる位置でした。
回転という種目はリスタートできる種目なので、「あっ、まだいける!」って思いました。転倒した瞬間は、メダルはもう無いと思いましたけど、このまま終わるのはいやだったので、順位はどうでもいいから、最後までしっかり滑り切れたらいいなと思いました。なので、その後のことは覚えていないくらい夢中で滑りました。

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それまでの種目はゴールすると「わー!!」って観客の声が沸いたり、アナウンスが盛大にあったりしていたのが、その時だけは、ゴールした時にシーンとしていました。
「私、そんなに失敗した?失敗したのは分かっているけれど、そんなに!?」と思って、速報が出る掲示板を見られなかったんですよね。次の選手が滑り出すのでコースから離れようとした時に掲示板を見たら、1番のタイムでした。次の選手が最後だったので、私は1位か2位は確定だって分かったんです。
「あれ!?メダル獲った??全種目・・・獲れた・・・?」っていう気持ちで、自分でも想定外でした。転倒してそのままコースアウトするっていう選択もありましたしね。止まった位置が、たまたまそこだったから良かったですけど、もうちょっと滑り落ちてしまっていたら、コースに戻れませんでしたから。本当にいろんなことが重なって、最後の種目はメダルにつながったので、自分が一番びっくりしました。そして何より、諦めないことって、本当に大事だなっていうのを学びましたね。
平昌パラリンピックは競技日程的に、たまたま私が最初で、最後の出場だったんです。それに気づいて、私が最初にメダルを獲って日本チームが活気づいたらいいなと思っていましたし、最後は私自身の平昌の締めくくりでもあるけど、日本チームの締めくくりでもあるから、このまま終われないという気持ちもありました。

パラアルペンスキーとは

―パラアルペンスキーについて少し教えてください。

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村岡 基本的には、健常者のアルペンスキーのルールと同じです。
種目は全部で5つで、大きく2つの系統に分けられます。まず、滑降とスーパー大回転の2種目は高速系と言われる種目で、大回転と回転が、技術系と言われる種目です。それに、スーパー複合という、スーパー大回転と大回転を1本ずつ滑った合計タイムを競う種目があります。選手によってはスピード系が得意だったり、技術系が得意だったりと分かれるので、スーパー複合はどちらの種目にも強い選手が勝ち上がって行きやすいです。
旗の間隔は、滑降、スーパー大回転、大回転、回転の順で狭くなります。滑降は一番スピードが出る種目で、場合によっては時速120キロくらいは出ます。その次にスーパー大回転で100キロくらいです。大回転は50から60キロくらいで、そんなにスピードは出ないんですけど、技術が必要です。最も技術を必要とするのが回転ですね。回転は、ものすごくリズムが早くなるので、ちょっと板をスライドさせてみたり、ずらしてみたりという細かなテクニックが必要になってきます。

―村岡さんの得意・苦手な種目というのは?

村岡 得意というか好きなのは大回転で、苦手なのは回転です。
大回転は、スキーをする上で基礎だと感じています。大回転の弧を大きくしていけばスーパー大回転になるし、またさらに、弧を広くすれば滑降になるし、その弧を小さく小さくしていくと回転になります。私にとって大回転は、自分の調子を見やすかったり、調整しやすい種目なんです。それと、スピードもちょうど良いです。あまりスピードが出ると怖いので(笑)

トレーニングが嫌い!?

―トレーニングは、1年を通してどのようにしているんですか?

村岡 8月頃から遠征に出て、そこからシーズンスタートです。翌年3月一杯くらいまでは、基本的に海外を行ったり来たりしています。4月から7月までがオフシーズンですが、日本では5月くらいまで春スキーができるので、全く雪の上に乗らないというのは、5月の中旬くらいから7月くらいまでですね。

1年を通して行なっているのは筋力トレーニングです。体幹トレーニングで腹筋したりとか、ベンチプレスを上げたり、懸垂したり、あとは有酸素運動もやっています。

もともとの病気というか障害の影響で、ちょっと背骨が変形してしまっているんです。筋肉のつき方にも左右差があってバランスの違いがあるんです。スキーは、右にも左にもターンをするので、左右なるべく均等の方が良いんですけど、私の場合は左右のズレが大きいのでその点では苦労しています。

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高校生の時は、トレーニングはドクターストップをかけられていました。成長期にトレーニングをしてしまうとバランスの差が崩れてしまう場合が多いからという理由です。大学進学を機に、もういいだろうと思ってトレーニングを始めたんです。そこから、体の使い方などが変わりましたね。体幹トレーニングもしますけど、回転という種目では素早い動きが求められるので、そういう敏しょう性や俊敏性も磨きました。

筋力はつけるだけではなく、スキーで使える筋力にしなければいけないんです。例えば、トレーニングで、腹筋10回が20回できるようになったという使い方と、スキーをするときの使い方って同じとは限りません。もちろん基礎的な筋力トレーニングをするのも大切ですけど、プラスそれを使える筋肉にして行くことを意識しています。

他にも、怪我を予防するためにはすごく気をつけないといけない大事な細かい筋肉があるんですけど、そういう箇所は、不意に見つけた小物を使って鍛えたりしています。そうやって「それいいね!」「こうやったらいいね!」「それはダメだね!」って、トレーナーさんと色んなアイディアを出し合ってトレーニングしています。

私、実はトレーニング嫌いなんですよ。

―トレーニング嫌いなんですか!?

村岡 こうやって話していると、トレーニングが好きって感じじゃないですか?でも、本当に嫌いなんですよ(笑)

トレーニング前は「行きたくないな〜。」って気持ちで車に乗って行くんです。トレーニングをやり始める前までは憂うつで仕方ないんです。でも、トレーニングを始めるとだんだん楽しくなってきて、たくさん汗をかいて、体を動かして、最終的にはストレス発散になっています。この間、そのことに気づいてトレーナーさんに話したら、トレーナーさんからめっちゃ喜ばれました。

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アルペンスキーの魅力

―以前、アルペンスキーについて「辛くて、痛いし、寒いし、大変」と答えているインタビューを見ましたが、辛いことを続けるって、誰でも苦手だと思います。
村岡さんはどうやって乗り越えてこられているんですか?

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村岡 求められている答えとは違うと思うんですけど・・・
スキーは辛いし、寒いし、痛いし、全然上手くなっているかどうかもわからないし、じゃなんでやっているかというと、楽しいからです。楽しくて、スキーが好きだからです。なぜ好きかと聞かれると、わからないんですよね~。だって、スキーって山を登って下っているだけじゃないですか(笑)

スキーって自己満足の世界だって思っています。陸上もしていましたが、陸上競技や水泳のような競技は、目標タイム、日本記録や世界記録、自己ベストみたいな、それを超えるためという指針があるんです。でも、スキーは毎回、コースやバーンが変わるので、滑り終わった時の周りとのタイム差だったり、自分の順位だったり、終わった時の自分の中の達成感でしか測ることができないんです。タイムや順位も大事ですけど、それ以上に、「さっきのあそこのターン、めっちゃ良かったな!」とか、「あそこの滑り、良い滑りしてたな!」っていうような、自己満足感や達成感の方が強いです。

あとは自己肯定感です。周りの人から「いま、すごく良かったね~!」とか、「ターン良かったね~!」とか、「良いタイム出しすぎじゃない?抜かれそうなんだけど。」とか言われると、すごくうれしいし、そういったところに楽しさを感じます。

辛い時に乗り越えていくには

―やめたいと思うことはあるんですか?

村岡 昨年の夏場ぐらいです。ちょうど全く雪の上に乗っていないときに、「ほんっとに、スキーやめる!!やめたい!!」って思った時期がありました。

私の至らなさによって行き違いが生じてしまったことが原因なんですが、そのことについて、ある人にものすごく叱咤されたんです。「そんなんじゃ、勝てないよ。」「そんな考えでやっているんだったらサポートできない。」って。他にも様々なことが重なったんですけど、それからの1ヶ月は、食欲が湧かない、眠れない、何もする気力が起きない、外に出たくない状態で、本気でスキーやめようと思っていました。

「そんなに嫌だったら、別に逃げてしまえばいいじゃない。こだわる必要ないじゃない」とも言われましたが、私の心の中では「そうなんだけど、そうなんだけど・・・」と葛藤があって、自分の心を改めていかないといけないという気持ちもありました。

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それまではスキーをするのがすごく楽しいし、好きだっていう気持ちばっかりだったのに、「スキーをしたくないな。怖いな。」っという気持ちの方が大きくなっていました。

平昌パラリンピック前の夏の遠征に行った時は、嫌で仕方ありませんでした。本当に帰りたいと思っていたし、そう思っている自分も嫌でした。

でも、いざ滑り出したら、すっごくスキーが楽しくて、ただ山を下っているだけなんですけど、それが楽しくて。「スキー楽しいな!すっごい好きだな!」って思ったんです。そして、そう思えた自分に安心しました。

―今のお話を聞いていると、その時期があったからこそ、スキーを好きだという思いに気づかれた面もあるのかなと感じました。

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村岡 それはありますね。その出来事の後から、周りの人たちから「変わったね!」って言ってもらえるようになりました。ベッドに寝ているだけで気がついたら泣いているような日々で、本当に辛かったです。でも、自分の周りにはそういうときに話を聞いてくれたり、いろいろと助けてくれる方々がたくさん周りにいて乗り越えられたというのも、大きな要素だと思っています。

嫌なことって、乗り越えようと思っても乗り越えられないと思うんです。辛い時って、何を言われても「ほっといて!私は、辛いんだ!」って思いますよね(笑)だから、それを乗り越える秘訣とかって、・・・・・・無いと思います。

「がんばって!」「それをやらなきゃいけないよ。」「いいじゃん、やらなければ。」というのは、周りの人の優しさだったり、考えて言ってくれたことかもしれないけど、結局、やるのも、考えるのも、結論を出すのも、全部自分なんです。人に何を言われたとしても。自分で決めるんです。
(しばらく考えて)
乗り越えるには投げ出さずに考えることかもしれないですね。

期限が決まっていないんだったら、常にそれを考え続けるんじゃなくて、自分の好きなことをして気持ちを和らげたりして、そういう中で、嫌かもしれないけどちょっと考えてみるとか。そのことから逃げているときも、もちろん私は大切だと思うし、逃げているときは忘れているかもしれないけれど、そのとき楽しんでいても、きっと不意に自分に入り込んでくる瞬間があると思うので、そういう時って、嫌でも考えているときじゃないですか。

だからこう、続けていくには無理せず考えることかなと思います。

これから、そして4年後

―最後になりましたが、これからの目標は?

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村岡 今回メダルを5つ獲れて、「これから追われる立場ですね。」と言って頂くこととが増えました。でも、今回の平昌パラリンピックで5種目あって私が一番上を獲れたのは1種目だけです。他の種目は負けと同じです。
今回は金メダルが1つだけだったんですけど、4年後は、それよりも多くの金メダルを獲って、日本に帰ってこられるよう、これから4年間、またがんばりたいと思います。

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村岡 桃佳(むらおか ももか)
埼玉県出身。1997年3月3日生まれ。21歳。
4歳のときに脊髄の病気の影響で両足が不自由になり車いす生活となる。中学生の時に父親と参加した体験会をきっかけにチェアスキーを始め、中学2年生の時に本格的に競技スキーを開始、高校1年生で日本代表入り。17歳で出場したソチ大会で5位入賞。2018年の平昌パラリンピックでは、出場した種目全てでメダルを獲得し、金メダルを含む5つのメダルを獲得。また、日本選手団の旗手も務めた。

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